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ピックマンのモデル

ピックマンのモデル

Pickman’s Model

ハワード・フィリップ・ラヴクラフト 全集4 新訳2
概要
登場人物
あらすじ

本作は5,570語の短編小説で、1926年9月頃に執筆されたと推測される。初出はWeird Tales誌1927年10月号で、同誌1936年11月号に再掲された。単行本初収録はO、校訂版はH、詳註版はAn2とDに収録されている。

ラヴクラフトはボストンのノースエンド地区の風景を克明に描写し、実在する通りの名称を多用した。だが、物語の完成から1年も経たぬうちに、その地域の大半が再開発で消失。この事実に彼は深く落胆した。当時の彼の心境が、ドナルド・ウォンドレイを現地に案内した際の言葉に表れている。「物語に登場した通りも家屋も、悉く解体されてしまった。歪んだ輪郭を描いていた街並みは、完全に灰塵に帰したのだ」。この証言は、ピックマンのアトリエの描写に実在の建物がモデルとして使われた可能性を示唆する。作中で言及される地下道網も実在し、植民地時代から密輸に利用されていたと考えられる。

本作は、ラブクラフトが『文学における超自然の恐怖』で提唱した恐怖小説の技法を即座に実践した点で注目に値する。語り手のサーバーは次のように語る。「真の画家は恐怖の解剖学、恐怖の生理学を熟知している。つまり、眠れる本能や生得的な恐怖の記憶を刺激する、的確な線や比率、無意識下の感覚を呼び覚ます色彩の対比や明暗の効果を理解しているのだ」。この言葉は、ラヴクラフト自身の恐怖小説観を代弁するものでもある。

サーバーが「ピックマンは構想と表現において、徹底した、妥協を許さない、ほとんど科学的とも言える現実主義者だった」と述べる場面では、ラヴクラフトがダンセイニ風の散文詩的手法を捨て、後期作品の特徴となる「散文のリアリズム」へと転換した意思表示と解釈できる。

本作は口語体で綴られるが、語りの説得力には欠ける。第一次世界大戦を生き抜いた「タフな」男のはずのサーバーが、ピックマンの絵画に過剰な恐怖と衝撃を示すからだ。彼の反応は神経質で、ヒステリックな印象を与える。なお、ピックマンは『未知なるカダスを夢に求めて』にも脇役として登場している。

『ピックマンのモデル』は、典型的な怪奇小説の趣が強かったためか、読者の支持を集めた。1929年にクリスティーン・キャンベル・トムソンが編纂したアンソロジー『By Daylight Only』に収録され、1937年同編者の『Not at Night Omnibus』にも再録された。

  • サーバー…本作の話し手
  • エリオット…本作の聞き手
  • リチャード・アプトン・ピックマン…天才画家

【舞台】

  • ボストン

ボストンの画壇から突如姿を消した画家、リチャード・アプトン・ピックマン。その失踪の真相を知る唯一の人物、サーバーが、戦慄の事実を語り始める。

ピックマンの絵画は、その奇怪さゆえに多くの人々を遠ざけていたが、サーバーだけは彼との交友を続けていた。芸術の真髄を追求する者同士の絆か、それとも禁断の好奇心か。

ある夜、ピックマンはサーバーを寂れたコップスヒル墓地近くの秘密のアトリエへと誘う。そこで目にしたのは、想像を絶する悪魔的な絵画の数々。

そして、ピックマンは古の伝承「取りかえ仔」について語りだす。人間の子供と入れ替わる異形の存在。その描写の生々しさに、サーバーは言葉を失う。

ピックマンの語る「取りかえ仔」の話は単なる伝承なのか—。

サーバーの証言は、芸術と狂気の境界を揺るがし、人間の想像力に潜む恐怖を浮き彫りにする。サーバーはなぜピックマンと絶交したのか。ピックマンの失踪の真相とは—。

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