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ク・リトル・リトルの呼び声

ク・リトル・リトルの呼び声

The Horror out of Lovecraft

真5 D・A・ウォルハイム
概要
登場人物
あらすじ

本作は1969年5月、『マガジン・オブ・ホラー』に収録されたパロディ作品である。
ウォルハイムはラムレイに対し、ラヴクラフト死後は神話作品に触れていないと語ったと言われるが、実際にはこの風変わりな作品を寄稿していたのだった。

ドナルド・アレン・ウォルハイム(1914-1990)は、「サイエンス・フィクション・リーグ」を率いて1930年代から活発に活動し、アメリカのSFとファンタジー文学の発展に重要な足跡を残した。彼は『Man from Ariel』(『ワンダーストーリーズ』1934年1月号)などの創作活動も行ったが、その真価は編集者・出版人としての才能にあった。

アマチュア時代から熱心にファン向け出版物を手がけていたウォルハイムは、1936年秋に『ファンシフル・テールズ・オヴ・タイム・アンド・スペース』を世に送り出した。この雑誌にはラヴクラフトの「廃都」をはじめ、ダーレスやハワードの作品が収められていた。販路の制約から一回限りの出版で終わったものの、この企画をきっかけに彼はラヴクラフトと1937年まで文通を続けた。

同年、ウォルハイムはファン向け出版物の流通問題を解決するためFAPA(ファンタジー・アマチュア・プレス協会)を立ち上げた。この組織には後に名を成すR・A・W・ローンズも参加しており、振り返れば両者は大衆文学界で似た道のりを歩むことになる。

第二次世界大戦中の1941年から43年、彼はアルビング社で『コズミック・ストーリーズ』や『スターリング・サイエンス・ストーリーズ』などの編集責任者を務めた。戦後の1947年からはエイヴォン・ブックスへ移り、『エイヴォン・ファンタジー・リーダー』をはじめとする複数の文庫サイズSF誌の編集を担当。続く1952年にはエース・ブックスでSF選集を次々と成功させ、1972年に独自の出版社「ドウ・ブックス」を創設した。

年間SF傑作選を主力とするドウ・ブックスだが、ウォルハイムはラヴクラフト作品への情熱も忘れなかった。アーカム・ハウス以外で初めてクトゥルフ神話アンソロジー『The Disciple of Cthulhu』(1976年)を出版し、またラムレイの長編『The Burrowers Beneath』(1974年)と『The Transition of Titus Crow』(1975年)も世に送り出した。
興味深いことに、ラムレイとの出会いでウォルハイムは、彼がラヴクラフト死後わずか9ヶ月で誕生したことを知り、『Transition of Titus Crow』の裏表紙に「ラヴクラフト再来」という宣伝文を掲載した。実はラムレイがラヴクラフトの転生という噂の発信源はウォルハイム自身だったのだ。

  • 語り手
  • エリファス・スノードグラス…アフリカ系の青年
  • ユーラリア・バーカー…私の叔母

【舞台】

  • 1939年 アメリカ

1939年、人里離れた漁師町ホウザー。母方の伯母ユーラリア・バーカーを訪ねた私は、やがて謎めいた青年エリファス・スノードグラスの存在を知ることとなる。

アフリカ系の血を引く27歳の彼は、数週間も部屋に閉じこもり、壁の向こうからは不可解な歌声や会話、時には悲鳴さえ漏れ聞こえていたという。伯母に誘われ、私も彼の家を訪問することになったが、その家に足を踏み入れる前から、異質な空気と不穏な音色が私の皮膚を這うように感じられた。

乱れた髪と落ち着かない様子で帰宅したエリファスは、私がミスカトニック大学の学生と知るや否や、その態度を一変させ「ネクロノミコン」について熱心に尋ねてきた。私の無知を知ると彼の目に失望の色が浮かび、それ以来、彼は執拗にその禁忌の書を図書館から借り出すよう私に懇願するようになる。

事態が動いたのは9月10日、街全体を包み込む強風と共に、かび臭い異臭が辺りを支配した。その直後、轟音と共にアーカムの何処かに雷が落ちた時、私はまだ知らなかった—この現象が、遥か深淵からの呼びかけの始まりに過ぎないことを。

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